2. 「大分盲人チャレンジマラソン第10回記念大会に寄せて」     
        大阪市 三島康幸(弱視 40才)
 私達、家内や数名の友人共々、この大会に参加させてもらう様になったのは、
ちょうどこれも第5回の記念大会でした。私もこの頃は全盛期であっちこっちの
大会に年間24〜25回くらい参加させてもらっていました。このチャレンジマラソン大会も、
私にとって、大変想い出のたくさん残るものとなりました。大阪から出発の日の夜、
船に乗り遅れかけたことや、お陰様で10キロ大会記録を2回もつくらせて頂いたこと、
家内も5年間も続けて大分走ろう会の井上さんといわれるガイドランナーに伴走して
頂けたこと等々。みんなすばらしい想い出です。ほんとにありがとうございます。
 大分という地でこの様な大きな大会を10回も積み重ねることは大変な事だと思います。
先ず大会運営のための資金作りはなみなみならぬご苦労があるものと思われます。
それにいろいろな関係団体をはじめ、たくさんの組織や個人それにレースそのものに
おいても大分陸協の方々が手伝ってくださるし、入場行進なども府県別に女子高校生が
プラカードを持って行われるのは、他府県から参加するものは皆大変喜んでいます。
 競技場外の走路においても、走路員はもちろん、けっして多いとは言えない、沿道で
応援してくれる一般の方々、人数が少ない分ほんとに一生懸命応援してくれ、
我々選手は当然頑張らずにはいられません。とにかく一つの大会を成功させるためには、
計り知れない労力とそれを陰で支える数多い方々がおられるからです。私達選手は
それに応えるには、やはり力いっぱい走る事だと思います。
 この大会に携われている方々。第10回大会ほんとにおめでとうございます。そして今後も
この大会がますます発展していかれるよう、心から祈念しております。
 さて私事ですが、この10回大会にもぜひ参加させて頂く予定なのですが、今年の夏に
体調を崩し、9月23日現在まだハーフマラソンか10kmにしようか決められない状態です。
いずれにしても以前のように思うようなタイムで走れないと思いますが、今の自分の
力いっぱいで走りますので、どうか宜しくお願いします。
 私は走りはじめて、もう25年近くなります。もっとも大阪市盲時代は1,500mの
中距離トラック選手でした。この長いランナー生活で、いつも相手になってくれたのは
練習コースと時計、そしてトレーナーと栄養士として毎日家内にも世話になり、
精神的には多くの仲間に支えられた上で、自分自身は強い意志と努力と意地で
今日まで走ってこれました。しかしこの夏で、自分自身少しはゆっくりするように
言われているように思ってきました。
 この長い間にはたくさんの貴重な経験・想い出も出来ました。なんといっても
´88ソウルパラリンピック、´89極東南太平洋国際身障スポーツ大会、
´92バルセロナパラリンピックに日本代表選手として参加させてもらったこと。
ハワイホノルルマラソンやオーストラリアのゴールドコーストマラソンなどの海外マラソンに
参加したこと。北海道サロマ湖100kmウルトラマラソンを家内共々完走できたことなど。
また記録ではフルマラソンに出場して12回サブスリーを達成できたこと。
ベストタイムはフル2時間37分48秒、ハーフ1時間17分12秒、10km34分50秒等々。
これらは私の想い出と同時に大切な宝物になりました。しかし、また自分が持っている
宝物におごることなく、これからも前を見て走り続けたいと思います。
 ただこれからは、ある程度今までのような競技にばかり目をむけるのではく、楽しみながら
走ることをいろいろな人に教えて頂きたいと思います。そうしないと身体を壊してしまいますから。
もっと器用な人間になりたいと思いますので皆様の御指導どうか宜しくお願い致します。
そして第10回記念大会で皆さんにお会い出来るのを楽しみに、少しでも毎日練習して
大会にのぞみたいと思います。
 皆さんお互いに頑張りましょう!!
                   ´94年9月23日 
本文終わり