わーわーずと出会って10年

                               竹中良一
どのようにしてわーわーずとかかわったのか最初が、よく思い出せないのと
前後関係が、ちょっと不明です。

まず95年頃にパソコンを、使いだし
京都シティハーフの新聞記事を、見てniftyのFRUNに入ったのが
今の私のマラソンの原点です。
伴走バンクなるhpを、作っていただいたマッちゃん(現在上海在住)に
八尾から京都まで伴走しにわざわざ来ていただき
いろいろと教えていただき一気に仲間が、広がり

そこでくにさんの伴走メーリングリスト成る物も教えてもらい
そこから長居でも練習会が、有ることを、知りました。

最初のわーわーずは、永田さんが、一人で全部お世話されていたように思います。
京都のメンバーも練習会に行っていてあい走フレンズが、出来るまでは、お世話
になっていたようです。
それまでは、JBMAに対抗してKBMAだったように聞いております。

なので私が、初めて長居に行ったのは、伴走MLを、見てと思います。
永田さんに練習コースには、距離表示が在り15周するとフルマラソンになると
か説明しながら1周周り
次に伴走していただいたのが、尾幡さんでした。
この時から家から走ってきて練習会を、していただき
走って帰っておられたとか
今では、そんな人は、珍しくもありませんけど
最後は、何周でも付き合うよと言われて走っていただいたのが春井さんで
7周するかしないかで大痙攣してセンターに帰るにも動けないぐらいに痙攣した
のが、わーわーずデビューでした。 その時に関わっていただいていた人が、未だに関わ
っていただいているのには、
感謝の一言では、言い表せませんね。

長居わーわーずに入れてもらったのは、滋賀の駅伝でアイ走フレンズが、衰弱し
パートナーズなるものと分裂し
どちらからも駅伝メンバーには、入れてもらえず拾ってもらったのが、
長居わーわーずでした。
その後京都でも加茂川パートナーズが、出来ましたが
これからも長居わーわーずにお世話になると思いますので
皆さん、よろしくお願いします。


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