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☆中山@伊丹さん
☆白井進さん
☆いぐちさん
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☆中山@伊丹さん

「わーわーずとの10年」   中山@伊丹

わーわーず結成10周年おめでとうございます。

私がわーわーずへ参加したのは結成されてから数カ月経ってからでした。
伴走はわーわーずの前身とも言うべき、関西盲人マラソン協会(KBMA)の時からやっていましたが、何時しかKBMAの練習会がなくなり、その後、兵庫県伴走者協会の練習会(西宮)に参加していました。その練習会の席で、長居で練習会が再開したことを、KBMAで一緒だったブラインドの田中昌宏さんから聞き、わーわーずにも参加するようになりました。

初期のころから参加しているメンバーの誰もが言うことですが、初めの数年は練習会の参加者が少なく、伴走者が足りないこともしばしばあり、両手伴走でその後ろに弱視の人が付いて走るということもしょっちゅうでした。そのことを思うと今の練習会の盛況は夢のようです。
また、人数だけでなく、ブラインドランナーの走力のレベルアップも特筆すべきことだと思います。わだっちや谷口君のように若くて活きのいいメンバーが加わったこともありますが、皆さん練習熱心で、伴走者が堪忍してと言うくらい伴走者を引っ張るようなランナーが続々と現われています。(実際、5年前の視覚障害者駅伝で、伴走として第1区を走ってブラインドランナー(福永さん)に付いて行けなかったのは私です。)
そしてレベルアップの究極は何と言っても、神戸で行われた昨年の視覚障害者駅伝でわーわーずが3位入賞したことでしょう。
駅伝参加当初は繰り上げスタートの常連でもあったわーわーずがベスト3に入るまでに至ったのかと思うと本当に感無量でした。

最近練習量がめっきり減って、ブラインドランナーの足を引っ張るようになりかけているので、これ以上走力が落ちないように気を引き締めて走ろうと思っている今日この頃です


☆白井進さん

「長居わーわーずの和(輪)」
白井 進

長居わーわーず結成10周年おめでとうございます。
この10周年記念文集への寄稿が自分自身をふり返るちょうど良いキッカケとなりました。
NJRC(ニュージャパンランナーズクラブ)の武内さんからのお誘いで、共生・共走リレーマラソンに参加したのをきっかけに、それまで休日に南港の自宅から時々、長居公園まで約10キロの距離を走り、気がむけば周回コースをまわり、折り返して帰るということを重ねていた訳ですが、ある日、長居公園に着くとわーわーずの皆さんが伴走ロープを手にペアで走っておられるのに出会い、飛び入りで走らせてもらったことを思い出します。2004年のことだったと思います。それから1?2年後には毎回のように参加させてもらうようになり、今まで一人で走ってきた中では気づかなかった数多くの新鮮な喜びを見い出すことができました。
その後も大会や練習会で伴走者という名前のパートナーとして走るうちに、様々な経験をさせていただき、今ようやく『伴走』ということの入り口に立てたような気持ちでいます。ようやくわーわーずの輪(和)に手がとどいたということでしょうか。
一本のロープを通じて伝えあう言葉のいらない本能、訓練しなくても身につく感情、身についている心情、これらはさまざまな出会いからさらに和が大きくふくらんでいく源となるものと思います。
これからはその和を広げ、深めていくことのお手伝いを微力ではありますがさせていただきたいと考えていますので皆様どうぞよろしくお願いいたします。



☆いぐちさん

ぼくが伴走を知ったのは、たしか1999年の秋だったと思います。
ぼくが所属しているFRUNの練習会が、長居公園であった時でした。その時は、伴走と云う言葉さえ知らず、「なんで二人で走っているんやろ?」と、恥ずかしいくらいの無知でした。
FRUNの仲間から「あれはブラインドランナーさんとロープを持って走っているんやで、FRUNの人も走っているよ」と教えてもらいました。いま思えば針小路さんのことだったんですね。
その後2年ほどして、初めて伴走をする機会がありました。生駒でのある練習会にメグちゃんが来ており、ほんの少しだけでしたが伴走をさせてもらいました。
それからは、メグちゃんと武庫川で練習を始め、長居公園にも顔を出すようになりました。
沢山の方と一緒に走ることができ、いろいろなことを勉強させていただきました。
ありがとうございました。これからも出来るだけ参加したいと思っています。よろしくお願いします。


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