このページには
☆一浦@京都さん
☆中司文典さん
☆赤堀浩敬さん
のメッセージが掲載されています
私が最初に伴走をしたのは、フロストバイトというレースでした。
当時参加していたNiftyServeのFWELLというフォーラムで、ある方が伴走者を探されていたのがきっかけでした。
そこで2人で走るという伴走の面白さにのめり込み、その後伴走メーリングリストに加入することになりました。
そしてある日、大阪の向地さんが書き込まれた「長居公園で走りませんか?」の問いかけに集まったメンバーが春井さん、森下さんと、私の3名でした。
ところが行ってみると、阿蘇カルデラで御一緒した永田のじっちゃんをはじめとして、松本さんや留美ちゃん、浜田さん・・が、いらっしゃるではありませんか!
それやったら、今後月1か2ぐらいのペースで走りましょ!って事で、スタートしたのが今のわーわーずの始まりでした。
('99年の3/28のことでした)
それからしばらくしての'04年の6月、練習会の連絡網に使えればと、「わーわーずメーリングリスト」を立ち上げました。
当初はこのメーリングリストという仕組みに慣れない方も多く、混乱もありましたが、気がつけば投稿数が1万件近くになりました。
こちらもオフライン版わーわーずということで、思い出に残っています。
この10年の間、いろんな人との出会い、別れがありました。
当時、重量級ランナーで有名だった(?)私を見て「一浦さんが走れるなら私も走れる!!」って、大勢のランナーが誕生し、私を追い抜いていきました。(これは嬉しい事というか、悲しくもありました。)
いつも長居でおしどり夫婦ランされていた三島夫妻の死は、本当に悲しい出来事でした。
練習後の福山楼では、大汗かいた後のビールが回ってしまい、いつもひっくり返っていたような気がします。
本当に泣いたり笑ったり・・マグロになったりの繰り返しでした。
練習会に行く都度、みんなから元気をわけてもらっていたような気がします。
その後私は体を壊してしまい、残念ながら今は走れなくなりました。
それでも時々、走っている夢を見ます。
みんなとワイワイいいながら走っていた、あの頃が懐かしいです。
走る事は単純でつまらない事に見えるけど、その素晴らしさは走っている人にしかわかりません。
わーわーずの皆さん、あまり無理はしないで(いや、多少の無理はした方が気合いが入っていいですね)これからもみんなで走る楽しさを満喫してやってください!
影ながら応援しています!
伴走との出会いは、2003年1月の東京視覚障害者倶楽部練習会でした。
運動不足の解消にジョギングでも始めようかと思っていたときに誘われたのがきっかけでした。ところが、最初の練習会では走力が伴わず、途中で足が痙攣しリタイアという始末。申し訳ないやら、情けないやらでがっくりした記憶が残っています。それでも、当時はまだ伴走者が少なく、遅くてもよいからとおだてられ、JBMA、アキレス、バンバンクラブと、週末には代々木公園へ通うようになりました。
伴走メーリングリストやJBMAの小田原など各地の大会に参加するうちに、全国の伴走練習会の情報も耳に入るようになりましたが、なかでも、わーわーずは、非常ににぎやかで活発なクラブとの印象でした。
2006年7月に大阪で単身生活をすることになりました。大阪に行くなら住まいは長居公園のそばと決めていたので、インターネットで捜し、早速、わーわーずの練習会に参加しました。期待通りの楽しい雰囲気で迎えてもらいました。
長居公園は、駅に近い、障害者スポーツセンターが利用できる、曲がり角が無く平坦なコース、照明が多く夜でも安心して走れる、と練習場所として大変恵まれた環境にあると思います。最近、新しいメンバーもどんどん増えてきました。わーわーずがますます発展していくことを願っています。
趣味で25歳ぐらいからマラソンを始めていました。
その頃は、毎月のように関西の市民マラソンに参加してました、また後輩の誘いもあり、トライアスロンも参加するようになりました。
ゴールしたあとのビールがうまくて、走るのが好きでしたね
そんな中、37歳ごろだったかな、突然右目上半分以上が黒いカーテンに覆われたようになり、すぐ病院に行きました。医者からは病名は網膜剥離だから、すぐ手術しないと失明するよと言われました。
その時はすごくショックでしたが、手術すれば見えるようになるからと言われ手術しました。
しかし、今度は、左目が網膜剥離になり手術することになり、1ヵ月以上の入院でした。その後も何度か目が悪くなる度に手術しましたが、よく見えるようにならなかった。そんな状態が続いたのでだんだんと何事においてもあまりやる気が起こらなくなってきました。
ましてや走ることは、見えにくいようになったから走れないんだと思っていましたし、先輩が「網膜剥離は走ったりすると振動ではがれやすくなるから、やめといた方がいいよ」と言われてました。
しかし、走りたい気持ちはありましたが、なかなかきっかけがつかめない状態が続いてました。
そんな中、45歳ごろに日本ライトハウスから、兵庫県伴走者協会や長居公園で走っている人たちがいるよとのことを教えてもらい、早速、兵庫県伴走者協会に問い合わせし練習会に参加するようになりました。
そんな頃に、大阪市内でメグさんに出会い長居わーわーずのことを教えてもらい練習会に参加するようになりました。あまり練習会には参加できていませんがね。
練習会で伴走者の方と話しをしながらのランニングはいいもんだなあと感じましたし、伴走者やブラインドランナーの方々が楽しそうにランニングしたりランニング後のビールを美味しく飲んでいることがいい感じですね。
自分も生涯ランニングができるんだなと感じましたし、二人で走ると元気倍増の力を与えてくれる喜びを感じています。
これからもランニングは続けて行こうと思います。
皆様ありがとうございます。
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