「三島御夫婦との出会いと別れ」
長居公園伴走練習会「わーわーず」 小原 康之

あれは何年前だったか私が初めての伴走を経験した年のことでした。
福知山マラソンで偶然伴走をさせて頂いた福井の青竹さん。
その青竹さんから長居の42.195キロマラソンでの伴走を依頼され
地下鉄で長居に向かう車中での事 
斜め前に視覚障害者の女性が座っておられた。
いかにもランナーって感じの服装の方だったがまだ視覚障害者とはあまり
接していなかった私としては声を掛けることができなかった。
しかし長居のマラソン大会も初めてで勝手のわからなかった私は周りに
ランナーらしき人も居なかった為その女性の後を付いて行く事にした。 
(ホント情けない・・・)
そのおかげで難なく会場に到着した私は青竹さんと会えスタート地点に
立てた。
スタート後 青竹さんを伴走していると少し前にさっきの女性が走って
おられた。
私が『頑張ってください。青竹さんの伴走をしています。お名前はなんと
おっしゃるんですか?』っと尋ねると『三島です。』っと答えられた。
すかさず青竹さんが『お久しぶりです。三島さん。』と言われた。
お二人は知り合いだったらしい。
またよくよく話を聞いてみると100キロも完走されたスーパーブラインド
ランナーだと聞いてまたまた驚いてしまった。
つい最近まで視覚障害者がマラソンをされていることも知らなかった
私としては世の中にはいろんな方がいらっしゃるんだなーと思った。
それから月日がたち私がはじめて知り合ったブラインドランナーの
向地さんから、長居で練習会を開いてほしいとの要望があり、知り合いの
仲間を集めての伴走会が始まった。
そのとき夫婦で参加されたのが三島御夫婦だった。
ご主人はなんと元別大ランナー そしてパラリンピックのマラソン選手。
しかし決しておごらない。そして話をしているだけで自分の何倍も
できた人間であると伝わってくる凄さ。
そしてなりよりも私はこの御夫婦の笑顔が好きだった。
何か自分までもが幸せにさせてもらえたような気がした。
今から思えばあの笑顔に会う為に伴走会で出かけてた気もしないではない。
一度 大変失礼なことを言ってしまったことがあった。
ご主人が風邪で寝込んでおられるとの事。
奥さんが『早く帰って食事の用意をしなくては』とおっしゃった。
私が『えっ?食事の用意をなさるんですか?』と尋ねてしまった。
今考えるとなんともひどい偏見を持った言葉だ。
そんな言葉に対しても『しますよ。家事はなんでもするんですよ。』っと
優しく教えてくださった。
とっさにひどいことを言ったと気づいた私に奥さんは優しい笑顔だった。
人の立場にたって物事を考えることをちょっと教わった気がした。
教わったことはそれだけではない。
常に前向きな態度 そして姿勢
私のそれからのランニング人生にプラスさせて頂いた。
私たち伴走者はお二人からきっとなんらかの良い思いでを貰ったに違いない。
その大切な思い出を胸に秘めてこれからのランニング人生を楽しみたいと
思う。
今回の事故は本当に残念で切ないがお二人が笑顔で走っている姿は
生涯忘れることはないであろう。
ご夫婦に心をこめて 『ありがとう』
                           平成13年8月13日
                               小原 康之


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