「追悼」
                      (御夫妻の同級生) 高田 志斗美

 わたしと早苗ちゃんは、クラスは、違っても同じ学年で、高等部の三年間を、
過ごしました。あの頃すでに、三島君とつき合っていた早苗ちゃんと、恋する
女の子の気持ちを話題にしたものです。彼女は、保母さんになりたいと勉強して、
しばらく無認可の託児所で、視力をカバーする工夫をしながら、仕事をしていました。
でも、それは長続きせず、病院の仕事に変わりました。
 わたしは、その間、社会に出て、住み込みで働いていましたが、なぜか人恋しい
物足りない日々を送っていました。その頃すでに、結婚していた三島夫婦に
誘われて、遊びに行ったり、旅行に行ったりして、楽しい思いをさせてもらいました。
 わたしも、盲学校に戻り、二,三年と早苗ちゃんのいる病院で実習させてもらい、
患者からの信頼も厚く、仕事への意欲もあり日々頑張っている彼女の姿を
見ていました。その姿勢は、在宅ケアでも、生かされていたはずです。
 わたしが結婚した後は、プライベートなつき合いはなくなりましたが、家も近い
こともあって、商店街で、バッタリ出会ったり、電話で近況を話したりして、
付かず離れずの状態で、亡くなる二日前も、商店街で、出会って、ゴルフを
始めた事や、わたしにも、センターにおいでと、笑顔で、話をして「じゃまたね」と
別れただけなのに、それが、本当の別れになってしまうなんて・・・・・。
 こんな事になるなんて、信じられません。あの笑顔が、忘れられません。
 早苗ちゃんは、視力が低下していく中、あきらめたものも無くしたものも
あったでしょう。でも、それ以上に、得たものも大きかったはず。愛する人、
心ゆるせる友達、喜びも苦しみも分かち合える仲間がいる。彼女は、三島君と
出会ったことで、より力強く前向きに、頑張ってこれた。そんな彼女を支え、
自分の可能性も伸ばしてきた三島君二人の軌跡は、皆の胸に、残っています。
 思うまま書いてしまいましたが、二人に送る言葉は「友達でいてくれて 
ありがとう」この言葉に、わたしの思いを託します。
合掌
                                 高田 志斗美


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