「三島夫妻を偲ぶ」
            長居公園伴走練習会『わーわーず』 松本 義和

 三島夫妻と知り合ったのは、約7年ほど前に長居公園でおこなわれていた、
KBMA(関西盲人マラソン協会)の練習会でした。僕自身は、柔道の
トレーニングの一環として練習会に参加しました。そこに三島夫妻も走ってました。
旦那さんはパラリンピックにも出たことがあるという実力者で、到底足元にも
及びませんでした。ただひたすら「すごい人やなあ。」と思ってただけ。
しかし奥さんとは、当時10キロのタイムを計っての練習でほぼ互角に走ることが
でき、それ以来僕自身は奥さんを走る上でのライバルとして競っていました。
しかし、長距離になると僕自身は全く走ったことがないのに対し、奥さんはすでに
フルマラソンはもちろん、ウルトラマラソンも走っていた実力者だったのです。
その後、その練習会は2年ほどで自然解散してしまい、交流はなかったのですが、
2年前(1999年春)に現在でも行われている長居伴走練習会『わーわーず』で
再会しました。
走ることに関しては、僕自身それほど重きを置いていなかったので、あまり突っ込んだ
話をすることはなかったのですが、いつも冗談を言い合ったりして、仲良くしてもらってました。
奥さんとの一番の思い出は、第2回全国視覚障害者駅伝大会(1999年9月)に
僕は2区4キロ、そして奥さんが4区4キロと同じ距離を走って、結果僕の方が早く、
奥さんがけっこう悔しがっていた事です。それ以来、翌年の同じ大会では「もう一度
勝負をしよう。」と言われ、けっこうライバル視されました。
しかし翌年は、僕自身がパラリンピック前ということで、この大会に参加することが
できなかったので、また1年後に改めて勝負しようと約束していたのに、もう二度と
勝負できないのが本当に残念です。
旦那さんの一番の思い出といえば、やはり昨年のパラリンピック出場を前にして、
僕自身、練習でばててた頃に、競技は違うけど、パラリンピックの先輩としていろいろと
アドバイスをしてくれたり、精神的や肉体的ストレスに対して、僕にとって唯一
心のなぐさめとなって話を聞いてくれたことです。「練習をやってもやってもやり足らん気が
するやろ。」とか「休む勇気を持たなあかんで。」などと、本当に的確なアドバイスをもらいました。
僕自身、走ることは大好きなので、三島夫妻がいつも仲良く参加していたわーわーずの
練習会には、これからもずっとずっと参加していき、亡くなられた夫妻の分まで代わって
走っていきたいと思ってます。


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