「三島康幸君の思い出」
               岸和田市職員労働組合書記長  折田和喜

 三島康幸君が夫婦ともに亡くなったと聞いた時は、信じられなかった。
あの頑強な鍛え上げられた肉体を持つ彼が、という思いだったのである。
しかし、いかに強い肉体を持ち合わせても、しょせんは人間、走る鉄塊には
勝てなかった。慚愧の至りだ。今となってできるのは故人の生前の元気な
姿を想起して懐かしく思うことだけだ。三島君とは、旧病院時代の市職労
病院支部の役員からのつきあいだった。屈託のない温和な笑みをたたえた
青年だった。旧病院の組合事務所で「FM fan」という雑誌を所持している
彼を見たことから、彼と私に共通点のあることを知り、親密感を覚えた。
 彼は、理学療法室という勤務条件を生かして、仕事が終わったあと、
理学療法の器具を使って体を鍛えていた。やがて、彼が長距離走の秀でた
アスリートだということがわかった。職員厚生会運動会の長距離競技で
何度もトップでテープを切った。
 彼の奥さんには、扇町公園だったか大阪城公園だったか定かでないが、
開催された大きな集会で紹介された。彼は、彼女にプロポーズしたときのことを、
「あんなに恥ずかしかったことはなかった。」と述懐する純情な青年だった。
 彼の正義感が遺憾なく発揮されたのは、原市長が河合俊明氏を破った
市長選挙においてであった。彼は、当時支部の役員で、市長選挙闘争の
宣伝行動に参加していた。和泉大宮駅下がりで、相手陣営の一人がいきなり
参加者にカメラを向けシャッターを切り始めた。彼は、仲間とともに相手に抗議をし、
フィルムを返せともみ合いになった。それは、結局警察の介入するところとなり、
警察に引っぱられ尋問されるハメになった。黙秘を通していた彼だったが、
最後は名前を言って帰してもらった。先輩のIさんは現場に居合わせたが、
警察が来るなり路地に逃げ込んだ、という話を後で聞いて、彼の正義感に
敬服した。
 こんな三島君はもういない。奥さんとともに安らかに眠れと祈るしかない。

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