「トランス・九州ジャーニーランの旅と三島早苗さん」
          (早苗さんの阿蘇カルデラマラソンでの伴走者)樋笠 千代子

 4月29に日〜5月5日までの佐多岬−関門500kmに参加してきました。
 霧島高原を越えて人吉・八代・熊本城を見て、山鹿温泉、太宰府天満宮から
門司市、関門海峡がゴールの九州横断です。
 東京からも三人参加、大阪からは中西仙太郎さんと参加。
 朝は五時スタート。その日野宿舎(国民宿舎兼公共の宿を用意されてます)が
ゴールとなります。
 最終日5日は83km、皆の疲労も考え朝3時30分のスタートでしたが、無事
関門大橋の下にゴールした時は、地元の走友の皆さんが出迎えてくれ充実感で
一杯でした。
 このランは、私にとって感慨深いものになりました。
 5月1日、この日も人吉城をめざす辛い日でした。
 朝はいつも調子が出ず、岡野さんという優しいおばさまに、私は三島早苗さんの事を
話しながら走っていました。
 そして宿に到着してすぐ、待ち構えたように大阪の母から電話、何事かと取ると
『三島さんが亡くなったで、今日葬式やった。大西が行ってくれたけど、あなたも
もう帰ってらっしゃい』と言うではありませんか。
 ・・・・
 何んのことかわからず、死んだ何故、何それ、母の電話で28日に交通事故で
御夫婦とも亡くなったと知らされました。
 死んだなんて知らずに、今朝早苗さんの話をしていたところなのに。
 彼女は葬式の日、私に会いに九州に来たんだ。そう思えて仕方がない。
実は九州に来る前に私は手紙を出していました。
 ”何日まで行って来るからね。帰ってきたら同封してある9月のウルトラレースの
準備をしようね”って書いてたんだ。
 彼女は来たんだ九州まで、そして旦那とあの笑顔で天国に走っていったんだ。
 ・・・・
 翌日からは、走る景色がこんなとこも一緒に練習したね。高野山110キロの時も
こんな道、最後の5キロ、三島さんダッシュするで、なんて言ったね。
 阿蘇の100キロの前には山のコースばっかり練習したよね。と思い出し泣いて
ばかり。
 大阪の中西さんはそんな私に一日中ついて下さった。
 三島さん、中西さんとも一緒に練習したよね。
 ・・・・
 泣いてたら三島さんに叱られそう。途中から「三島さん連れてったるで、私の左に
付いてね、行くで〜」と言いながら走り続けました。
 4日には佐賀大学の佐藤先生が来てくれた。佐藤さんはパラリンピックの
柳川さんの伴走仲間です。九州の新聞にも大きく三島夫婦の事故の事が
載ったとのこと。
 佐藤さんは、私と三島さんの阿蘇のレースを一緒に参加して応援して下さった。
 この日は一日中私について下さったので6日目も完走できた。
 ・・・・
 5日、九州の走る会の人達の途中での応援やら、一人で長い時間写真を
撮るために途中待っていてくれた足の悪いランナーもいた。急にランパン姿で現れ
シュークリームの大きな箱詰めを下げてきてくれ、地元の案内付きの伴走を
してくれた方もいた。7日間の大きなランの旅は素晴らしいものでした。
 三島さん!
 九州も走ったんや、これからも色々な所いっぱい連れてったるで・・・
                                   樋笠 千代子


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