思い出に感謝しつつ三島さんご夫妻を忍ぶ」
               長居公園伴走練習会「わーわーず」 向地 憲志

 長居練習会のときの「おはようございま〜す」というあの明るい声が今でも
はっきり耳に残っています。でも、 三島康幸さん早苗さんご夫妻はもう
この世には居ないんですね。3ヶ月余り過ぎた今になってもまだ信じられない私です。
 私がマラソンをはじめたのは今から5年ほど前三島婦人(早苗さん)との出会いが
きっかけでした。
 長居の身障者スポーツセンターのプールで偶然お会いし、そのときKBMA(関西
盲人マラソン協会)というところがあって、つきに1度10キロと5キロの練習を兼ねた
記録会をしていることを教えていただきました。
 まだ視力の有った学生時代陸上部だった私はそれを聞いて喜び勇んで参加させて
いただいたのですが、30年近く走っていない私にはとてもきつく、3キロ走るのに20分
以上もかかってしまい、「甘かったなあ〜!、もう走るのは諦めよう」とそのとき硬く
決心しました。
 でもその後もなぜかKBMAの練習会のことがとても気にかかって、あれから8ヶ月
ほどたったころから毎朝縄跳びをはじめていました。
 最初は50回も飛ぶと息が切れてしまいましたが、1週間、2週間と続けているうちに
2000回程度飛べるようになり、「これなら少しは走れるかな〜」と胸をわくわくさせ
ながら再度KBMAの練習会に顔を出させていただきました。そして5キロを26分41秒
で走ることができました。
 そのとき三島早苗さんは「もうけえへんと思てたのに〜、良かった良かった」と、
とても喜んで下さったのをまるで昨日の事のようにはっきり覚えています。
 それから4年たった今ではお蔭様でたくさんのランニング仲間に恵まれ10キロ38分、
フルマラソン3時間1桁で走れるようにまでなりました。
 こんなすばらしいマラソンの世界へ誘ってくださった三島さん、ほんとうにほんとうに
有難うございました。
 実は三島さんにはじめてお会いした当時の私は、失明、そして失業・・・、と
毎日鬱々として暮らしていた状態でした。
 もしあの時ランニングの世界を教えていただかなかったら今も酒におぼれて
鬱々とした生活を送っていたかも知れません。でも今はたくさんの温かい
ランニング仲間に支えられてとても幸せな毎日を送らせていただいています。
 気ままで自分勝手、その上熱しやすく冷めやすいという欠点だらけの私ですが
これからは三島さんにプレゼントしていただいたすばらしいマラソンの世界を大切に
しながら三島さんご夫妻のように、思いやりと感謝の気持ちをいつも忘れないようにして
いつまでもいつまでも細く長く走り続けるよう努力していきたいと思っています。
 私の「誰か私と走って下さいませんか」というインターネットの書き込みがきっか
けで発足した長い練習会にも快く参加して下さり、協力してくださった三島さんご夫妻、
今後ともどうかどうか私たちの長居練習会のことを空の上からいつまでもいつまでも
見守っていて下さいね。
 心よりご冥福をお祈りいたします。
                                 向地 憲志


追悼文目次へ | 三島夫妻ページトップへ | ホームページへ

本文終わり