第58回河内長野シティマラソン
2013年2月17日(日) 大阪府河内長野市
なかちゃんの完走記です


2011年10月頃、長居わーわーずの仲間に入らせてもらいました。

その頃はまだ2,3キロ程度しか走れない私でした。そこから練習会にも参加させてもらい、2012年1月に5キロの大会を出ました。

マラソンを始めてから、大幅な体重減少もあったせいか、5キロを走った直後に、先天的な外反母趾が突出し、歩くのもままならずの状況になりました。
整形外科を受診し、マラソンを始めた、今後、長距離も目指していきたい旨を相談すると、一時的なインソール装着や、突出している部分を削るなどの治療は、再発の可能性が大きいということもあり、半年間走れないという条件ですが、人工骨折させて骨を形成しなおし、固定するために骨にワイヤー(針金)を入れて骨折させた骨をくっつけさせる方法を提案されました。これだと再発も限りなく少ないとのことでした。

まだ走り始めの時期。
信頼できる先生の提案でもあったので決断し、手術までにエントリーしていた大会だけは、出場し、2012年4月に上記手術をしました。
白杖を使用しながら松葉杖が使えないので、約1ヶ月の車いす生活を余儀なくされました。

2ヶ月間の入院、そして退院後も、ワイヤーが取れる半年後までは、走ることを許可されませんでした。
ウォーキング、筋トレだけは許可されていたので、退院後4ヶ月間は、長居わーわーずもウォークで参加をしていました。

半年後の10月にワイヤーが取れて走るのを許可されました。
半年のあいだに筋力も落ちていました。少しずつ走りを再開し、2ヶ月後の12月に10キロの大会で60分切りで完走復帰をしました。

この外反母趾の故障がなければ、2012年から2013年のシーズンにかけて、フルマラソンを挑戦する予定でした。しかしそれは無理な話だったので、ハーフだけでも走りたい・・・そんな思いでエントリーできる大会を探しました。

河内長野シティマラソン、この大会を見つけました。入院中に面会に来て下さった、ガイドの寺やん(以下、寺やん)に伴走が可能かどうかを相談しました。予定もあいているとのことで伴走を受けて下さいました。
しかし、そのあとで、河内長野で初ハーフを挑戦するという話を周囲にすると、最高標高300メートルまで登るアップダウンのきついコースだとわかりました。
私は大変不安になりました。

「完走できるのだろうか・・・」そんな心配を寺やんに相談しました。年明けに試走を企画してくださいました。約10名ほどの方が私の試走におつきあいいただきました。折り返し(約半分の10キロ)あたりから。膝こそ笑っていましたが、ケガもなく、無事に試走完走を果たすことができました。
試走で応援してくださった方はみんな「当日は大丈夫」と言って下さいました。
そこから約1ヶ月強、週に1度のペースで寺やんと外ランの練習を重ねました。

2013年2月17日、日曜日。天気は晴れ時々曇り、最高気温10度、最低気温1度。
ひんやりした朝を迎えました。
前日緊張でぐっすり眠れず、早朝に目が覚めて寝付けず、少し早めに会場入りをしました。更衣室も暖房がなく手足がかじかんで寒い大会の始まりでした。
スタート時間。後方からスタートしました。アップダウンを考慮して、ゆっくりめに走ること、目標は関門3カ所をクリアし、制限時間(2時間30分)以内にゴールすることでした。
特に若干の寝不足以外、体調も問題なく順調にスタート。
スタート直後、寺やんが「現在の気温2度」と伝えてくれました。
上り坂も、試走で経験していたので、フラットよりは、ペースダウンにはなりましたが、問題なく上れました。

河内長野ハーフは、河内長野市内をスタートし、滝畑ダムを通過していく自然の中の山沿いのコースを走ります。
最初は両サイドは民家などしかなく、応援もありました。しかし山手のほうに入っていくにしたがって、応援も少なくなりましたが、自然の音が私を励ましてくれました。川の音が聞こえてきました。空気が澄んでいるのを感じました。路肩には前日までに降った雪も残っていたようです。
そんななかで上り坂では、寺やんの口ずさみが私の緊張もほぐしてくれました。
折り返し数キロ前に試走のときにお世話になった友人が応援で待ってくれていました。
「ええペースで走ってるやん!」そう励ましてもらい元気をもらいました。
折り返し手前あたりから、右膝に違和感を感じていました。
前半、早い段階で地元のブラインドランナー、わーわーずの田中まさよしさんと、すれ違いました。寺やんの友だち、更衣室で助けて下さった方もすれ違いに声かけをしてくれました。

10キロ、折り返し地点で70分、第一関門5分前でした。基本的に距離やタイムは
プレッシャーになるので私から聞くまで伝えないでくださいとお願いしていました。
折り返しは同じ道を戻るので、その地点で10キロというのはわかりますので、私から何分で通過したのかだけは聞きました。
後半は下りが多いコースです。上った分だけ下らないといけません。折り返しが過ぎてしばらくしたころから、折り返し手前の右膝の違和感が痛みに変わってきました。

第二関門、15.6キロまでの間に、右膝に激痛がはしりました。半分足を引きずりながら走っていました。寺やんにリタイアを提案されました。でもここでリタイアをしたら、試走で応援して下さった皆さんや友人などのことを思い出して、リタイアだけはしたくないと、寺やんに「関門大丈夫ですか?」と聞きました。寺やんに「関門を心配するぐらいなら今のあいだにやめたほうがいい・・・」そう言われたときは、自分が弱気になっていたのでプラスに捉えることができず、間に合わないのかも・・・そんな一抹の不安を感じながら走行を続けました。
第二関門を通過したとき「関門2分前です」というアナウンスが聞こえました。
ぎりぎり間に合いました。上りやフラットな場所では右膝の痛みもほとんど感じず、とにかく無我夢中で前だけを向いて走って行きました。

光の感じで、森や林などの自然の中を抜けて、市内に戻ってきたのを自ら感じました。
あと少し・・・。下り坂でかなりの人に追い越されていったけれど、市内に戻ってきてフラットな道では何人もの人を追い抜いて行けました。
寺やんの「あと長居公園では1周ほど」(長居公園の一周は2.8キロほど)そんな具体的な距離での伝え方で、イメージトレーニングをして励ましてもらい、ラストスパートに入りました。ラストスパートは上り坂があります。このあたりになると、歩いている人も多くて、走っていても私よりは遅い人がほとんどでした。上り坂にさしかかる前に、私のうしろでしばらく私をペースメーカーにしているようなランナーの足音も聞こえていました。
しかし、そのランナーも上り坂では足音が消えていきました。次々に追い越して行き、最後の上り坂をクリアできました。
そこには、なのさんが待ってくれていました。
一緒にゴールまで走ってくれました。このあたりから私の目の中には涙が溢れていました。ゴールは長野小学校です。第三関門は知らないうちにクリアしていました。
運動場を駆け抜け、ゴール。

2時間23分でした。制限時間内に完走できました。
嬉しいという感情を通り越して、感激に変わっていました。
復帰から4ヶ月でハーフまで走れるとは夢にも思いませんでした。
そして2時間23分走り続けれたこと、右足は痛めたけれど、左足と上半身はまだまだ元気でした。右足もその日は足を引きずっていましたが、二日後には痛みもすっかり取れて、ただの筋肉痛でした。
これからハーフを何度か経験して、2013年秋、初フルを目指します。
現時点では自信なんてありません。でも一歩ずつ確実に練習していけば夢が叶うかもしれない。そんな夢を描いています。
初ハーフを伴走してくれた、寺やん。試走にご一緒してくださった方々、当日応援に来て下さった方々、応援して下さったすべての皆さまに、この場をお借りして心より御礼申し上げます。

なかちゃん


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